おしゃれ

おしゃれというのは、じぶんを着飾るということではない。むしろそれを見るひと
への気くばり、思いやりだと考えると、服を選ぶときのセンスが変わってくる。つま
り、他人の視線をデコレートするという発想をどこかに取り入れること、つまりそう
いうホスピタリティが、ファッションでいちばん大切な要素なのではないかと思う。

わたしは京都という街に生まれたので、子どものころからよく舞妓さんやお坊さん

か蟹じ

とすれ違った。どちらも服装がきわめて特異。管からおこぼまで、いやというほど着
飾る舞妓さんと、すりきれかけている貧相なきものにわらじのお坊さん。しやなりし

とばり

やなりと夜の帳のなかを歩く舞妓さんと、お-つとうなりながら早朝の街を物乞いを
して歩く修行僧。徹底的にドレスアップして客を歓待するひとと、徹底的にドレスダ
ウンして衆生を迎え入れるひと。どちらも常人の知らない幸福を教えるホスピタリテ
ィのプロ、どちらもけっしてじぶんのために着飾っているわけではない。こういうセ
ンスの働かせ方を、多くのひとが忘れかけているのではないだろうか。たとえば夏の
かんかん照りの日に、白のきものに透けた黒の組や紗を重ね着して、見るひとの眼を
涼ませるといった感覚を、である。
ファッショナブルということを、江戸のひとは「いき」と呼んだ。あか抜けして、
張りがあって、色っぽいこと、いいかえると、諦めと意気地と媚態が織りなす綾のこ
とを、「いき」と呼んだ。その例を、九鬼周造という哲学者は。いき」の構造』(一九
三○年に発表)のなかで、うすものを身にまとった姿や、湯上がり姿、柳腰、細おも
てや流し目、抜き衣紋や左棲の裾さばきなどに見いだした。さっきはちょっと嫌みを
いってしまったが、現代のキャミソール・ドレスは不思議に九鬼周造のあげている例
に似ている。ただそこには、媚びるばかりではない、映えとか張りとでもいうべき心
の緊張がある点が異なる。

FH049_L